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3月, 2021の投稿を表示しています

桜、満開です

 春ですね。  土佐山では桜があちこちで咲き誇っています。  花粉症は少し落ち着いてきているようです。(阿波谷)

4年生 橋口真里さん 実習レポートが届きました。

 先週、4年生の橋口真里さんが実習に来てくれました。  とても熱心に実習をしてくれたと思います。  普段の講義でも「患者さんの生活背景を大切にする」と教えられるとは思いますが、実習を通じで、具体的なイメージに繋がってくれていれば嬉しく思います。  また、いつでもお越しください。(阿波谷) ---------------------------------------------------------- 土佐山診療所実習を終えて 医学科 4 年 橋口真里    医学部に入学して早くも 4 年経ちますが、これまで実習でお邪魔してきた施設の多くは「病院」で、土佐山診療所のような「診療所」で実習させていただいたのは 1 年初期の EME 実習以来でした。その頃の自分よりは医学的知識が身に付き、将来のことも意識するようになってきたので、実習を通して得られるものも大きいのではないかと思いました。また 4 月から大学病院での実習が始まります。大きな病院で実習する前に、診療所との違いを肌で感じておきたいというのも目的の一つでした。まずは EME 実習の時のような初心とときめきを思い出すつもりで土佐山まで車を走らせました。 実習を通して得られたことの一つに、座学では学べない臨床上の問題や工夫が見られたことが挙げられます。言葉は聞いたことがあった「ポリファーマシー」ですが、目の当たりにして予想以上にたくさんのお薬があって驚きました。それに対して、似たような薬や今必要のなさそうな薬は削るなどなるべくお薬を減らせるようにしたり、朝夜飲む薬を袋わけし、いつどれを飲むのか表にして患者さんにわかりやすくしたりするなどの工夫も知ることができました。また他にも、土佐山には調剤薬局がなく院外処方だと遠くまで出向かなければならないこと、ご高齢な患者さんのご家族の介護など、患者さん個々の抱える問題を知ることができました。病気のみを診るというよりは、患者さんの生活や人生を診ているといった印象を受けました。阿波谷先生が「患者さんのご家族とか生活も患者さんの一部」とおっしゃっていました。「膝が痛いと家の前の坂道も大変でしょう。」大学病院などよりも生活の場に近く地域に根差した診療所ならではの会話だなと感じました。医学的な視点からの答えは一つに絞れても選択肢は患者さん個々によってたくさんあって、その個別的な背景も

高知県薬剤師会のお二人に訪問いただきました

  今朝は高知県薬剤師会の常務理事の西森さんと、高知市薬剤師会会長の植田さんに訪問していただきました。  県内に調剤薬局はたくさんありますが、一部、土佐山のような中山間地域では存在しないところもあります。高齢者、在宅患者さん、認知症患者さんなど、服薬のサポートが必要な方もおいでますが、薬剤師さんと接する機会がないというのが現状です。  薬剤師会として、地域住民の服薬相談にのったり、講演会をしたり、医療・介護専門職と連携した取り組みが何かできないかという問題意識を持っていただいているとのことでした。  とても有難いお申し出です。  土佐山の実状をご説明したり、診療所の調剤や薬剤情報提供の方法をご覧いただいたり、土佐山健康福祉センターたきゆりの皆さんを交えての意見交換をしたりしました。  いいご縁につながることを期待しています。(阿波谷)

3年生鈴木脩斗君実習レポート

 先日、土佐山診療所で実習した3年生の鈴木脩斗君からレポートをいただきました。春休みを使って、自主的に実習してくれました。  とても大切なことを感じ取ってくれていると思います。医師になっても、その感性を持ち続けてもらいたいと思います。いい医師になってくれると大いに期待しています。(阿波谷) ------------------------------------------------------------------- 誰のための医療か~土佐山へき地診療所で感じたこと~         医学科3年 鈴木脩斗  人から離れたくない。これからどんな道へ向かおうとも、どんな医療者になろうとも。それが私の一番の根っこにある思いである。  本来、医療は何のためにあるのだろうか。病を治癒するため?寿命をのばすため?健康を維持するため?聞く人によってさまざまな意見が返ってくることだろう。でも一番根本にあるものは何か。それは人間である。何を当たりまえのことを、と思うかもしれない。しかしこの一番当たり前のことを人は往々にして忘れ去る。病んでいるのは間違いなくその人自身なのだ。臓器ではない、もっと全体的な一つの“ひと“として、そしてそのひとの中のずっと奥の方にある“何か“が健康でない状態。それが病ではないだろうか。そう考えると、医療者と呼ばれる人たちの使命は、病気を退治することではない。目の前のひとを癒すこと、である。  ひとから離れた医療とはどんな医療か。それは、医療者がただ提供し、患者がそれをただ受け取る、という関係性の中にあるものだと私は思う。よい音楽は自分の気持ちをメロディーに乗せることができるし、よい文学は自分の気持ちを文章に乗せることができる。よい医療も同じで、医療者が提供して患者がそれをただ受け入れるのではなく、医療者と患者が同じ目線に立って共通語を話し、“対話”して、お互いの気持ちを通合わせあうことが重要である。  土佐山へき地診療所での阿波谷先生と患者さんとの関係は、“医療者”と“患者”という関係以前に、間違いなく“ひと”と“ひと”という関係があった。阿波谷先生は何よりまず、相手の目を見て話す。そして物理的、精神的距離感を大切にしている。相手に寄り添うことが大事というけれど、寄り添い過ぎても患者さんは心を開いてくれないことがある。つかず離れず、ちょうどよい距離感を